先月末、父が68歳で他界し、昨日、お見送りが終わりました。
当日は、病院からの電話が直感的にその時と分かったので、すぐ金沢に向かいました。
家族全員が父との最期の日に会えた中、息を引き取る瞬間は、深夜に私と父の2人っきりになった時でした。その意味は、四十九日過ぎたらゆっくり父と・・・
本人は3年前から肺癌であることを知っていて、治療を選択せず、流れに任せたと言ってましたが、誰にも告げず、自分の命と向き合い過ごす選択は、勇気のいったことでしょうし、自分の人生、自己責任という考え方を小さい頃から教えらた身としては、父はそれを自分の最期の迎え方で私たちに見せてくれたような。
とはいえ、病気を明かすことができなかった気遣いをさせたかもと自分自身を責めました。
12月末に倒れた段階でお医者様が「こんな状態まで放ってたのは見たことない!」というほど末期の末期だったけど、昔から『太く短く』と言ってたようなので、肺癌にも関わらず、前日まで好きな煙草は毎日2箱吸い、大好きなゴルフもギリギリまでやり、入院生活の中で本当にしんどい思いをしたのも1か月もなく、言葉通り。
この2か月間は、父との時間を何よりも最優先し、年末年始や休暇も多く取れ、東京で仕事しながらも一緒に過ごせる機会も多かったし、実家にいるのが嫌(父も同じっ)なので、1日中、病院にいてたくさん話もできた。
去年の秋に大学合格した時、卒業を父に見せられないかも?って不意に思った予感と、どうにも回復が難しい状態での入院で、お別れの気持ちの整理と覚悟、最期の準備をする時間の全部を与えてくれて、やるじゃんお父さん、とほんとに思ってるし、自分の生き方も考えさせられます。
あまり後悔がありませんが、唯一。
父の病状に楽観的で、「2月末にお見舞いに来る」と言っていた彼氏と会わせることができなかったこと。
でもそれは、父の悪戯で、親友と相方がひょんなことから父の最期の日に遭遇し、ご縁が繋がったという流れもあるので、良しとしようと思っています。
4月中旬までは、毎週法要で週に一度は金沢の生活が続きます。
肉体が無くなっても、父の存在感はかわらないでしょう。